「虎ノ門」の地名の由来は?
「虎ノ門」の地名の由来
かつて江戸城の外堀にあった城門「虎之御門」の名前に由来している。
門自体の名前の由来として以下の説がある。
- 四方に青龍・白虎・朱雀・玄武を配する四神思想に基づき、西側の門であったことから白虎にちなんだとする説。
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太田道灌が出陣の際に、「千里行くとも千里帰るは虎」と言ったことにちなむとする説。
- 門内の屋敷にあった「虎の尾」という桜の木にちなむとする説。
かつて、江戸城の外堀には「虎ノ門(虎之御門)」という名前の城門がありました。
現在、港区に虎ノ門という地名がありますが、これは江戸城の虎ノ門に由来するものです。
では、そもそも「虎ノ門」という門の名前はなぜつけられたのでしょうか?
1. 四神思想に基づき、西側の門であったことから白虎にちなんだとする説
江戸城には多くの門がありますが、江戸城の正門とも言える「大手門」に対して、虎ノ門は西の方向にあります。
中国の神話において、天の四方の方角を司る神として「四神(ししん・しじん)」というものがあるのですが、その中で西の白虎にちなんで虎の名を冠した「虎ノ門」という名前が付けられたと考えられています。
ちなみに、白虎の他は東の青龍・南の朱雀・北の玄武となっています。
2. 太田道灌が「千里行くとも千里帰るは虎」と言ったことにちなむとする説
太田道灌の言葉にちなむとするこちらの説ですが、そもそも太田道灌とは室町時代後期の武将で、江戸城を築いた人物です。
そんな道灌が出陣の際に「千里行くとも千里帰るは虎」といったことに由来するというのが2つ目の説ですが、この言葉は「虎は1日に千里の遠くへ行ってまた戻ってくる」という意味で、勢いが盛んであることの例えに使われます。
出陣の際の言葉としてはピッタリですが、由来としての信憑性はあまりないとも考えられています。
3. 門内の屋敷にあった「虎の尾」という桜の木にちなむとする説
3つ目の説として、「虎の尾」と呼ばれた桜の木にちなむというものがあります。
この虎の尾という木は門内の内藤右近将監の上屋敷にあったとされ、美しい桜であったということです。
「虎の尾門」→「虎ノ門」になったのではないかと考えられています。
「虎ノ門」の地名の歴史
- 1636年(寛永13年)「虎之御門」が作られる1606年(慶長11年)に石垣が築かれたのち、この年に虎之御門が完成しました。
- 1873年(明治6年)虎ノ門が撤去される明治時代に入り、虎ノ門は撤去されてしまいます。外堀の石垣の一部が残されたのみとなってしまいました。
虎ノ門周辺にあった石垣の一部は、虎ノ門駅や文部科学省周辺で現在でも見ることができます。
- 1938年(昭和13年)「虎ノ門駅」の開業地下鉄銀座線の駅として「虎ノ門駅」が開業しました。
- 1949年(昭和24年)町名への採用芝今入町が「芝虎ノ門」に改称されました。これは町名に虎ノ門が採用された最初の例となります。
- 1977年(昭和52年)町名「虎ノ門」の誕生住居表示実施により、芝神谷町・芝虎ノ門・赤坂葵町などを併せて「虎ノ門一丁目〜五丁目」が成立しました。
近年では虎ノ門ヒルズや虎ノ門ヒルズ駅の開業など、再開発が盛んに進められています。
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