「赤坂」の地名の由来は?
「赤坂」の地名の由来
- 「赤根山」にのぼる坂であることから「赤坂」となったとする説。
- 赤土の色が目立つ坂であったことから「赤坂」となったとする説。
1.「赤根山」にのぼる坂であることから「赤坂」となったとする説
赤坂とは、「紀伊国坂」のことであるとされています。
この坂の上に茜草が生えており「赤根山」と呼ばれたことから、赤根山にのぼる坂ということで「赤坂」になったとする説です。
2. 赤土の色が目立つ坂であったことから「赤坂」となったとする説
上記の説のほかに、坂の色自体が赤土の色で赤かったことから「赤坂」になったとする説もあります。
この説においては、赤坂は「富士見坂」のことであると考えられています。
「赤坂」の地名の歴史
先に説明した2つの由来からも分かるように、「赤坂」はかつては単に坂の名前であった可能性が高いです。
それがどのように現在のように広い地域を表す地名になっていったのでしょうか?
- 寛永年間以前(〜1624年頃)「一木」と呼ばれるかつてこの地域は「一木」と呼ばれていました。(「人継」とも)
この頃は「赤坂」は単に坂の名前であったと考えられます。 - 寛永年間以降(1624年頃〜)町名としての「赤坂」の成立「赤坂伝馬町」、「赤坂田町」、「赤坂一ツ木町」などといった、赤坂を冠した町名が成立していくようになりました。
これは、寛永期に赤坂見附が作られて以降、赤坂の地名がより広域を表すようになった結果と考えられます。
1849年〜1862年頃に刊行された江戸切絵図。 「赤坂田町」や「赤坂傳(伝)馬町」「元赤坂町」など赤坂を冠した地名が多数確認できる。 左側には赤坂の由来とも考えられている「紀伊国坂」も。
- 1878年(明治11年)「赤坂区」の成立明治時代に入り、東京15区の一つとして「赤坂区」が成立しました。
- 1947年(昭和22年)港区の一部になるこの年に港区が誕生し、旧赤坂区は同区の一部となりました。この時、旧赤坂区の町名には全て「赤坂」の地名が冠されました。(伝馬町→赤坂伝馬町など)
- 1966年(昭和41年)現在の町名になる住居表示が実施され、赤坂一丁目〜九丁目と、元赤坂一丁目・二丁目が成立し、現在まで続く町名が成立しました。



コメント
赤坂の地名、1も2も合っている気がします。かつて一木と呼ばれていたそうな。似たような文字、読み方の中で 紀の国〈紀伊半島)三重県に紀伊市木駅・市木川があります。御浜町に属する地域で赤根姓の方々も住んでおられます。市木川のある御浜町は紹介文で「原始・古代 早くから先住民族が居を構え縄文弥生式の古代史跡も多く わが国の古代文化発祥の地の一つである」とありました。愛知県豊田を流れる市木川。その流域の市木町には六部塚古墳があるそうです。
赤土は火山の噴火で土の鉄分が赤くなり赤く見えるものもあり火山王国日本、富士山の噴火で赤い土の土地も多いでしょう。土偶や埴輪に使われたものもあるかと思います。赤土、赤埴、赤羽根も関係あるかもしれません。もちろん室町時代以前にはアカネ(茜)染めの元 茜草
は多く自生し使われていたようですから染め物関係の人々、薬草としての活用も考えられます。正倉院にもアカネが納められているとの資料を見たことがありますし、卑弥呼の献上品の中にアカネで染められた物があったことと思います。間違えていましたらごめんなさい。訂正お願いします。
大事な場所、大切に思える所を指しているのではないでしょうか。