「高輪」の地名の由来は?
「高輪」の地名の由来
- 高台にある縄手道から「高縄手」と呼ばれるようになり、それが省略されて変化したとする説。
- 小高い場所を意味する「高塙」が省略されて変化したとする説。
- 『吾妻鏡』に登場する「高鼻和太郎」に因むとする説。
1. 「高縄手」が省略されて変化したとする説
1つ目の説は「高縄手」が省略されたとする説ですが、高縄手とはどのような意味でしょうか?
高縄手は、高台に縄を引っ張ったようなまっすぐな道(縄手道)があったことに由来しているとされています。
のちに手が省略されて「高縄」となり、それが「高輪」という表記になったとされています。
ちなみにここで言う縄手道とは「二本榎通り」のことだそうです。
「高縄」という地名は1524年(大永4年)の「高縄原の戦い」として軍記にも残っています。
2. 「高塙」が省略されて変化したとする説
2つ目の説は「高塙」が省略されたとする説です。
塙とは、土地の小高く差し出たところを意味しています。
確かにこの周辺は海辺と比較して高台に位置しています。

タカハナワが省略され、「高輪」という現在の表記に変わっていったとされています。
3. 「高鼻和太郎」に因むとする説
3つめの説は、高鼻和太郎に因むとする説です。
高鼻和太郎とは、鎌倉時代に成立した歴史書である『吾妻鏡』に登場する人物で、1189年(文治5年)の奥州合戦の際に鎌倉からお供した人物です。
そんな彼がこの周辺の人物であろうということを地名の由来としているようですが、音が似ているというだけで根拠は乏しいようです。


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